エコーセミナーで講演しました
2019/02/23


2/23下関でエコーセミナーがあり講師を務めました。エコーセミナーの講演は初めてでしたので緊張しましたがエコー導入についてお話しさせていただきました。顔見知りの先生ばかりでしたのでこちらが学ぶこともありました。ハンズオンでもエコー専任のスタッフの皆さんが三班に分かれてエコー操作を行われました。終わってからコニカミノルタとアルケアのスタッフさんと記念撮影をしました。皆さんお疲れ様でした。
2019/02/23


2019/02/22

2/22山口リウマチ病診連携の会があり参加しました。山口大学整形外科坂井教授の「股関節におけるリウマチと鑑別疾患」の講演を拝聴しました。山口大学整形外科におけるRA診療のお話しがあり2016EULAR recommendationに基づいた治療に沿って治療されているそうです。ステロイド剤併用についてはできるだけ短期間にするべきとも言われました。生物学的製剤、JAK阻害剤は山口大学でも使用が増えていること、関節リウマチに対する人工関節手術は生物学的製剤が登場して股関節手術は減少していますが膝関節手術はむしろ増加していることも教えていただきました。股関節における関節リウマチと鑑別疾患として、変形性股関節症、特発性大腿骨頭壊死症、急速破壊型股関節症、大腿骨頭脆弱性骨折があり、特発性大腿骨頭壊死症についてはステロイドが関連因子と言われていますが脊髄損傷でステロイドを大量投与を受けた患者さんのMRI研究ではいなかったそうですので関連因子かは疑問だそうです。MRIで大腿骨頭壊死と診断された患者さんも専門医が診断すると別の股関節疾患だったそうですので診断には注意する必要があるそうです。又関節リウマチ単独で骨頭壊死になった例はないことも教えていただきました。坂井教授の研究で股関節疾患の骨頭の組織を調べた結果、リウマチではTRAP陽性細胞が関与が大きく、RANKL陽性は少なく急速破壊型股関節症で多かったそうです。関節液のサイトカイン濃度の研究で非血性関節液を調べた結果、急速破壊型股関節症で高く、その早期診断の期待できることもお話しされました。RA股関節に対するTHAは極力セメントは使わないそうです。再置換では大血管損傷に細心の注意を払うそうです。人工股関節置換術後の動作制限も適切な手術がされていればしゃがみこみなどの動作の制限もしないとのことでバイオメカニクス的な研究も紹介され大変勉強になりました。




2019/02/15
山口骨粗鬆症研究会が山口市でありました。当院のスタッフも受付、看護師、理学療法士も合わせて10人以上来てくれました。私が当院における骨粗鬆症治療後顎骨壊死の検討とその対策についてについてミニレクチャーしました。当院で骨粗鬆症治療で骨吸収抑制剤を使用した1500例中5例に額骨壊死を認めましたのでその検討と対策について述べました。特別講演は熊本から朝日野総合病院整形外科の辻王成先生の「連携で連鎖骨折を絶つ!~治療薬の選択を含めて~」の講演を拝聴しました。2016年に骨粗鬆症リエゾンサービスチームを立ち上げて2017年3月に骨粗鬆症地域連携パスの運用を開始され、2017年から骨粗鬆症専門外来を立ち上げられました。二次予防対策からみえた骨折連鎖について話されました。問診で椎体骨折がないと答えた中ですでに骨折していた人が多く、多発脊椎骨折が多いことを認識する必要があるそうです。骨粗鬆症検査としてX線、DEXA、採血を行い、骨粗鬆症の目的が骨折の予防であることを患者さんによく説明することを強調されました。25水酸化VitDの検査から正常は少ないそうでした。治療の流れとして65歳未満ではビタミンDとSERM、既存骨折が二個以上ではテリパラチドやデノスマブを勧めるそうです。デノスマブの効果は骨吸収マーカーが早期に下がり、大腿骨頚部の骨密度上昇効果が認められたそうです。デノスマブ投与後の骨折発生は非椎体骨折は1パーセント以下で脊椎骨折で非外傷性骨折は減少していたそうです。既存骨折がない症例は新規骨折は少ないそうです。デノスマブとテリパラチドの治療成績の比較についてはデノスマブは強い骨吸収抑制剤を有しますが重症骨粗鬆症患者にはテリパラチドが第一選択とのことでした。デノスマブの副作用対策としてカルシウムは1週目で低下しますが症状はなかったとのことでした。ビスフォスフォネート製剤の中断は通院回数が少ない方が多いので新規で始めた場合が89パーセントでしたが入院の方は認知症があり歩行障害のある場合は通院していない率が高いそうですので骨粗鬆症リエゾンチームで対応していかれる予定だそうです。デノスマブ中断後のオーバーシュート例が5例ありリエゾンチームでの電話でのフォローなどが必要とのことでした。理学療法士に高齢者医療のリハビリテーションとして対応してほしいとも言われていました。






